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クラスタ化する社会とTwitterとチューリップ(後編)

元記事に触発されて、記事を書き始めた(前編)ものの、長くなりすぎたので後編です。

【元記事】オートポイエーシス的ぽこぽこシステム論
クラスタ化する社会とTwitterとチューリップ(前編)

前編ではTwitter周辺で起きていることなどから「クラスタ化」「分人」「チューリップ」「オカメ効果」というキーワードを拾ってみました。
後半では、これらからさらに思考を広げてみたいと思います。

分人、クラスタとオカメ効果

オカメ効果(=傍目八目効果、外の目から見たほうが本質がよく見える)を、分人やクラスタと組み合わせて仮説を立てます。

仮説1:ある分人は、それ以外の分人から見たほうが本質が見える

仮説2:あるクラスタは、それ以外のクラスタからみたほうが本質が見える

仮説1は、「ひとりの個人の中で起きていること」です。分人をたくさん持つ人は、相互にオカメ効果が働いてそれぞれの分人が際立ちます。分人間のバランスも随時見直され、不必要になったものは「自然死」し、あらたな分人も次々に生まれます。その代謝が活発かどうか、というところはオカメ効果によるような気がします。分人が少なければ代謝はゆるく、多くなると加速度的に代謝が活発になる。そんなことが言えないでしょうか。人間の幅、みたいな言葉でもいいのかもしれません。
クラスタについても同様です。ABCDEと5種類の分人を持つ人は、5種類のクラスタに属することができます(ことが出来る、と書いたのは、「外部と繋がりたくない分人」などもあり得ると思ったからです)。クラスタ間では相互にオカメ効果が働くはずですが、ここで重要なことは「個人」という枠組みです。分人ABCDEはあくまでひとりの個人です。なので、複数の分人を持って複数のクラスタに属している人は、クラスタ同士をひきつけるオカメ効果アダプタの役目を担うということになります。そして、クラスタの数が多く、また代謝が活発な地域というのは”ぽこぽこ”がいっぱい、というふうに見えるのではないか、と思うわけです。

Twitterとオカメ効果

こういう仮説に基づいて考えると、Twitterというツールの凄まじさがもう一段階見える気がします。Twitterのタイムラインに流れてくるのは、カオスな分人たちのオンパレードです。ツイート単位で見ると、ある変態ツイートをしていた人が次のツイートでは企業の社会的責任を論じていたりします。そしてRTやフォロワー関係によって、各分人がどのようなクラスタを形成しているのか、が次々と目に入ります。その可視化によって自分の分人も次々に増えたり代謝が進んだりするし、クラスタも代謝がすすんでゆく、という現象が起きてきます。Twitterは、可視化ツールである以上に、分人間オカメ効果、クラスタ間オカメ効果の加速器ツールでもあるのです。

チューリップの役割

分人化やクラスタ化が進んでいくと、世の中の変化も早くなっていくのかなあとなんとなく思うわけですが、こういった変化には取り残されていく人、というのも必ずいるわけです。Twitterを利用したことが無い人にその面白さや凄まじさを伝えるのが大変難しいというのは、Twitterユーザーなら経験があると思います。この感覚がピンと来ない人のほうが、人数で言えばたぶん多数派じゃないでしょうか。世の中をリードしていったり変革していったりする層は少数派の分人たちやクラスタなのかもしれませんが、その動きがTwitterなどのツールによって加速されていくと、急速に価値観の二分化が起きてくるような気がします。
しかし、分人性といったようなものは、Twitterがあるかどうかに関わらず、本来みんな持っているもののはずなんです。それに気づかせることや、代謝を促進させることができるのはチューリップの役割かもしれません。たこ焼きを食べに行ったはずなのに、いいからTwitterのアカウントをとりなさい、あとこの本を読むこと、そんで読み終わったらもう一回おいでなさいな。みたいなことを言われるのは、つまりそういう効果を生んでいるのかなあと。

ユルユルに解きほぐされる

分人化とクラスタ化が徹底的に促進されると、個人も社会も「ユルユルに解きほぐされた」状態になります。分人という単位で、極めて流動性が高いということです。誰とでもすぐにつながる可能性があるし、自分の中に新たな分人が生まれたり消えたり、クラスタにくっついたりはなれたり、クラスタどうし合併したり解消したり。このユルユル状態が浸透すると、分人間オカメ効果やクラスタ間オカメ効果によって、「代謝しつづける」ことができるようになります。ところが、人間の身体にも血流の悪い部分が出てくるように、ユルユル内にも「しこり」が生じてくることが想定されます。しこりを抱えた分人は、なんとなくなのか、はたまた閉塞感に押されてなのか、ふとした瞬間にチューリップにするっと入るわけです。そうすると、新たに解きほぐされた出玉となって、チンジャラジャラとユルユルの中に再放出されていく。チューリップはこんなふうに、しこり解消の役割も担っているとはいえないでしょうか。

ユルユル状態に応じたまちづくり

さて、この記事はいちおう、まちづくりとかリノベとかの分野に話を落としたいので多少強引に話を展開します。
ユルユル状態の社会に対応した組織やまちづくりとはどんなものか。まちの構成単位は、「店」や「企業」だったし、さらにそれらの最小単位は長いこと「人」だったと言えると思います。人を基準に店もできたし、企業も組織化されてきた。だけど、分人が可視化されてクラスタ化が促進されていく段階での歪み、みたいなことが、いろんなところで起きているように感じます。ひとつの企業に定年まで勤め上げるという文化が無くなったのも、地元のひいき店でしか買い物をしない、的な購買行動が少なくなったのも、様々な要因はあると思いますが、分人、クラスタのユルユル状態によっても説明できたりしないでしょうか。まちも組織も、「分人が活躍し続けられる場」であることが求められているのではないかと。

ユルユル分人/クラスタを受け入れる組織

ユルユル分人/クラスタが主役だ、ということになると、特定のフィロソフィーや歴史に基づいて大規模な組織を形成する、ということが難しくなります。ちょっと語弊があるかもしれませんが、端的には大企業が意味を失う、とも言えます。常に生まれたり消えたり、くっついたり離れたりする分人・クラスタにとっては、活動しやすい場というのはその時ごとに形態が異なるからです。大企業の意味が無い、というよりもたくさんの分人が通り過ぎていくだけの大きなクラスタとしての意味しか持たない、という表現が適切かもしれないですね。前編の冒頭で述べた「企業形態のクラスタ化」は、企業の構成要素である人の分人化、クラスタ化が引き起こしているといえます。ある分人が傑出しているケース(例えばスポーツ選手など)は、収入を得る分人はひとつで充分だし、その収入を元手に他の分人を充実させるというバランスが考えられますが、そうでない場合は、少しずつ稼ぐ分人を複数抱える、言い換えれば3万円稼ぐ仕事を10種類持つ、というようなことが自然と起きてくるのではないかと思うわけです。そうなると、5人に30万円ずつ払える企業よりも、10人に3万円ずつ払える企業が5社、のほうが時代にあってるのでは、という気がします。結果的に、企業も分人が通り過ぎていくことによって分散投資効果というか、社会環境の変化に対応し続けられる体制になるし、まちもそういうユルユルした構成要素で出来ていくことで、代謝し続けられるんじゃないかな。

商店街とユルユルの違い

ユルユルの本質は分人、クラスタですから、小規模化や多様化という点では大規模店よりも商店街のほうがマッチしている、という発想があり得るかもしれません。しかし、いわゆる固定化した商店街では働く場としても消費の場としてもユルユルのニーズを満たせません。流動性がないとユルユルできないからです。働く場も、消費の場も、ハコの側もユルユルしてないといけない、ということなりはしないかなあ、と思っています。ユルユルしたまち、になるにはいったいどうしたらいいんでしょうか。

まとめ的なもの

めっちゃ長くなったので、そろそろ終わりたいんですが話のゴールが見えません。まとまってませんがモヤモヤしてるものを言葉にして吐き出してみたいと思います。
まちの構成要素は人、企業、店、建物、道路、空間など。あるいは歴史、とか文化、とかも入るのかな。いわゆるソフト部分である人や企業や店、という部分は人からさらに小さな単位へ分人化し、分人同士は有機的・能動的にクラスタを形成していきます。どんどんユルユルしていく、といってもいいかもしれません。それらの「活動の場」であるハードの側、建物や道路などの構造物や空間というのは、無生物なので能動的にユルユルすることは無いわけです。しかしハードが固定化したままだと、ユルユルソフトの側から見たときに「存在しにくい、活動しにくい場」になってくるんじゃないかと。いかにユルユル対応ハードであるか、という視点でまちづくりは考えられるべきじゃないのかな、と思ったんですね。ユルユル対応ハードは、ユルユルソフトを阻害しないだけでなく、チューリップ機能も備わっているとなおよいです。別のまちの固定化したハードに耐え切れなくてこのまちにやってきたら、チンジャラジャラといっぱい出玉が出たよ、といわれるようなまち。建造物のフレキシブルさ、はなんとなく必須なような気がしてるんですが、ちょっと専門外すぎてわかりません。ユルユル促進インフラ整備、みたいな視点もありうるのかもしれません。いかにユルユルできるか、というだけでなくて、ユルユルし続けられるかどうか、が鍵だと思うんだよなあ。

はっきりした結論にならなかったですが、もしかしてこの冗長な文章が表現しようとしたことって、冒頭に出てきた「オートポイエーシス・システム」というひとことで言い切れているような気がしてきたので、そろそろ終わりにしたいと思います。最後まで読んでもらってありがとうございました。

Author: uwagaki

22 Responses

  1. twitter:rectus より:

    後半書いたよ。それとリノベ研のほうに転載してみたよ http://renokago.jpn.org/?p=81

  2. 転載あざーす!オカメが新展開を見せそうw読んでみます。 RT @renokago: 【New Report : uwagaki 】 クラスタ化する社会とTwitterとチューリップ(後編) – http://tinyurl.com/27l4gwa

  3. 読みました。@rectuswarky は賢いかもしれん。RT @rectuswarky: 後半書いたよ。それとリノベ研のほうに転載してみたよ http://renokago.jpn.org/?p=81

  4. RT @onokennote: 転載あざーす!オカメが新展開を見せそうw読んでみます。 RT @renokago: 【New Report : uwagaki 】 クラスタ化する社会とTwitterとチューリップ(後編) – http://tinyurl.com/27l4gwa

  5. 読みました。 @rectuswarky さんは実は賢いのかもしれんですw うそうそ。RT @rectuswarky: 後半書いたよ。それとリノベ研のほうに転載してみたよ http://renokago.jpn.org/?p=81

  6. twitter:rectus より:

    褒められた?RT @otakohan 読みました。@rectuswarky は賢いかもしれん。RT @rectuswarky: 後半書いたよ。それとリノベ研のほうに転載してみたよ http://renokago.jpn.org/?p=81

  7. 一気に読んだ。素晴らしい展開!はっきりした結論じゃないのもいい(かなりまとまってるけどね)。ここからまたぽこぽこすると面白いなー。 RT @rectuswarky: 後半書いたよ。それとリノベ研のほうに転載してみたよ http://renokago.jpn.org/?p=81

  8. RT @otakohan: 読みました。 @rectuswarky さんは実は賢いのかもしれんですw うそうそ。RT @rectuswarky: 後半書いたよ。それとリノベ研のほうに転載してみたよ http://renokago.jpn.org/?p=81

  9. 読んでてだんだんわかってきたような。自信無いけど(´・ω・`) RT @otakohan: 読みました。@rectuswarky は賢いかもしれん。RT @rectuswarky: 後半書いたよ。それとリノベ研のほうに転載してみたよ http://ow.ly/1qGkSL

  10. 繋げたいなと漠然と感じてたことかなりが繋がっててスッキリ。@rectuswarky氏はもともとオートポイエーシス理解してたのかな。いや、この言葉自体はあんま使わないようにしよ。 RT @rectuswarky: http://renokago.jpn.org/?p=81

  11. その感覚大事!たぶんwRT @cipher999: 読んでてだんだんわかってきたような。自信無いけど(´・ω・`) RT @otakohan @rectuswarky は賢いかもしれん。RT @rectuswarky: 後半書いたよ。 http://ow.ly/1qGkSL

  12. よっ!編集王!wwwRT @rectuswarky: 褒められた?RT @otakohan 読みました。@rectuswarky は賢いかもしれん。RT @rectuswarky: 後半書いたよ。 http://renokago.jpn.org/?p=81

  13. バックグラウンドまで含めて、価値=おもろさを認めあう人同士や、グループが結びつく。真逆ぽいですが「プロ化社会」という言葉をイメージしました RT @renokago: クラスタ化する社会とTwitterとチューリップ(後編) http://bit.ly/b57KLn

  14. 必見。RT@rectuswayky 後半書いたよ。それとリノベ研のほうに転載してみたよ http://renokago.jpn.org/?p=81

  15. RT @rectuswarky: 後半書いたよ。それとリノベ研のほうに転載してみたよ http://renokago.jpn.org/?p=81

  16. misoppp より:

    読みました!面白い。というか、自分もなんとなーく感じてたことを言語化されていて勉強になりました。最後のまとめの“ユルユル対応ハードは、ユルユルソフトを阻害しないだけでなく、チューリップ機能も備わっているとなおよいです。”の部分ですが、建築側の見解としては、実はかなり前の段階でそのことには気付いているけど、未だに解決策は見つかっていないという感じです。僕自身、宮台さんもおっしゃっているように建築は20年前から進んでいないと感じることもあります。当然のことながらチューリップ機能はハードだけでは担保できず、人の力に頼らざるを得ません。もどかしい。実にもどかしいです。しかし、まちづくり規模で見たとき、建築ができることは多くある気がします。いわゆる“建築的な思考”というもので物事を考え、その登場人物たちと共にハードを作り上げる。というようなもの。ワークヴィジョンズの西村さんがおっしゃっていたことを又聞きですが思い出しました。最後にその言葉を「街のコトを考えたみんなの意見をまとめて(ハードを)作るのが僕の作家性です。」岩見沢駅舎はとてもイイです。

  17. ota より:

    ゆるゆるハードについては2000年竣工のせんだいメディアテーク(川内じゃなくて仙台の方です)のあたりからメジャーな関心事になってる気がします。プログラム論とか関心はもっと前からあったかもしれないけどインパクトを持って受け入れられたのが。
    ハードが機能主義的にソフトを規定せずにゆるさを残しながら、さらに建築サイドが運営サイドや利用者との関係性を重視しだした例。

    それがさらにソフトよりになってるのが西村さんや山崎さんかもしれません。

    この辺は確かに建築の関心ごとでありいろいろな試みがあったのですが、ここで、建築とは全然関係ないところからこういうまとめがあって、さらに建築のヒントにまでなりそうな独自のキーワードがいくつも浮かび上がってきたのが面白い。

    このまま建築を含めて独自の展開が出来たらきっと面白いだろなーと夢想してしまいます。このままぽこぽこし続ければ小さめのコミュニティ独自の進化をしないだろうか。

    例えば思考実験として10年前のせんだい(仙台)メディアテークをもじって、川内〇〇〇テークみたいな新しいビルディングタイプを考えるとしたら〇〇〇に何が入るだろうか。
    もともとメディアテークは磯崎さんがコンペで時代にあった新しいビルディングタイプの提案を求めたものなので竣工から10年経った2010年に〇〇〇を考えるのは面白そう。

  18. renokagoの @misoppp 氏のコメントに続けた。仙台メディアテークならぬ川内〇○〇テークを考えるとしたら○○○はなんだろう。飛びすぎてちょっと難しいか・・・。 http://tinyurl.com/2fcbw9b

  19. 僕はまだ実際のアクションがないので、こちらこそすごく参考にさせて頂いています。リノベ研のその後の記事 http://renokago.jpn.org/?p=81 も是非。書いたのは建築外の方です。 RT @tsujitakuma: いずれにせよ、俯瞰への参考になります。

  20. これはすごく興味をそそる記事だ・・・! RT @onokennote: 僕はまだ実際のアクションがないので、こちらこそすごく参考にさせて頂いています。リノベ研のその後の記事 http://bit.ly/bsnxi4 も是非。書いたのは建築外の方です。 RT @tsujitakum

  21. それにしてもこの方々、尽く全くもって同じようなこと考えてらっしゃる。この分人ゆるゆるネットワークなどもタイムリーに考えていること。一度みなさんにお会いしてみたい。「かごしま(たとえば)リノベ研究会β」http://bit.ly/bSLl1R

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