昨日(9/20)と今日(9/21)、立て続けに甑島に関わる出来事があったので報告しておきます。
LEAP10月号
ひとつは、LEAP10月号。
今月号のLEAPの『建築のある街並み』のコーナーにこの会のメンバーでもある永留さんによる、同じくこの会のメンバーになって下さった山下ケンタさんへのインタビュー記事が掲載されています。
それも、「かごしまリノベ研究会レポート」というかたちで!!!
是非手にとって読んでいただきたいので詳細は書きませんが山下ケンタさんの思いの源や「過去の営みとの接続感が感じられる街並みのヒント」「まちと人とお金の関係性をリノベートする試みだと感じた」と言う言葉が印象的でした。
TenBiz×KOSHIKI ART PROJECT
もうひとつは『TenBiz×KOSHIKI ART PROJECT』。
これには僕も”会議参加者”というかたちで参加させていただきました。
さっきまで意識していなかったのですが、実はこの会議のメイン参加者7名のうち4名がリノベ研究会のメンバーでした!偶然だと思うのですが結構びっくり。
なので、この会議の感想等は他のメンバーに勝手に期待して、この会議の前に僕が考えたことをざっと書いて置きたいと思います。
最初、簡単に会議への参加をOKしたのはいいものの僕はまだ甑島に行けてなかったし、KOSHIKI ART PROJECT(以下KAP)の試みについて自分なりにきちんと整理して考えたことがなかったので、いったい何を話せばいいのやらという状態でした。
で、引き受けた以上これではまずいし、もともとすごく興味がありながらも自分の言葉に出来ていなかったことなので、昨日まる1日かけて過去のUSTやらWEB上に出ている記事やらを見ながら僕なりに考えてみました。
KAPはチューリップ?
まず、アートのクオリティなどの部分は一旦置いておいて、KAPの果たす役割・機能はなんだろうと考えてみました。

上図のように、KAPを中心に住民・アーティスト・外部の人・島としての環境・行政etc…いろいろな人が関わっていると思うのですが、それらの人がKAPに関わることで、何か発見があったり、つながりが生まれたり、新しいことが始まったり何かを得られることが一つの機能なのではないか。
例えば甑アートと関わることで
・住民が自分の住んでいる場所の価値を再発見する。
・外部の人がアートを通して甑島の良さを発見したり、住民やアーティストとの交流から何かを感じる。
・アーティストが住民・環境に接することで創造上のインスピレーションを得たり今後の活動に繋がるものを発見をする。
・関わる人が環境の価値を発見することで、環境が守られたり新しい環境を生み出すきっかけになる。
etc….
といったようなことがあるのでは。言い換えるとチンジャラと何かが出てくるウワガキさんのいう「チューリップ」のようなものかなと。
(チューリップについては別記事や電子書籍参照)
つまりチューリップ機能の最大化という視点があるのかなと思ったのが最初です。
だけども、アプローチの仕方としてはあるとしてもなんか核心をついてる感じがしなくて、また過去のUSTなんかを見返してみました。
それで、KOSHIKI RADIO STATIONのUSTを見てる時、(1:19:30ごろから)「じょうやま音楽祭はなんであそこなの」という住民の方からの意見に対して、ケンタさんが住民からアクションを起こして欲しい、と言うようなことを言われていて、そこではっ、としました。
全て答えを用意するのではなくて、課題がある中でも丁寧なコミュニケーションが折り重なることで少しづつ進んでいくこと、よくある言い回しになるけど、プロセスが大切で、それがたぶん”根付く”と言うことに繋がるんじゃないかなと思いました。
そのとき、どこで見たのか忘れましたがシマポジウムで原口先生がコンクリートブロック塀と玉石垣について言われていたことを思い出しました。
例えば、ブロック塀ですが、僕は個人的には風化する材料、つまり比較的時間を受け入れる懐がある材料だと思っていてそんなに嫌いじゃないです。
だけど、ブロック塀から玉石垣へのビフォーアフターの写真をみると明らかに違います。
それは、玉石そのものが丸い形になるまでの長い時間が織り込まれているものだし、石垣は人の労力や知恵、それを積む人の姿が容易に伝わってくる、さらに言えばその技術にも数百年の時間が織り込まれている、それが無意識にでも伝わってくるから魅力的なんだと思います。
そして、そういう幾十にも織り込まれたものの魅力は、今流通している工業製品ではそうそう代わりがききません。
同じように丁寧なコミュニケーションが少しづつ織り込まれていくKAPの活動は簡単には真似ができない価値のあるものに少しづつ、少しづつ、なっていくんだろうなと思いました。
そういう風に考えていったときに、もうひとつの主役はきっと住民の方々なのかなと、ふと思いました。
少しややこしい話になりますが、僕の言葉で言うと、住民のぽこぽこシステムというものがあるとすると、そのシステムが持続的にぽこぽこしていくような状態が生まれれば一つの理想なんじゃないかと。
その場合、住民ぽこぽこシステムは独立してあるもので、それに対しKAPは別のぽこぽこシステムとして刺激を与えたり、共鳴したりするものと言えるかも知れません。(システムが独立しているというだけで、人が両方に属することも当然ある)

同じように、アーティスト・外部の人・島としての環境・行政etc..いろいろなぽこぽこシステムがそれぞれぽこぽこしだして、お互い刺激を与え合ったり、共鳴しあったりというような状態になればすごく面白いのかなと思いました。
と、まーこういう事を考えて会議に挑んだのですが、ちょっとしゃべりすぎたような気がします・・・。
また、実際の現場での苦労、特に、僕は屋久島で暮らしていたこともあるので想像出来る部分があるのですが、甑島をリアルな生活の場としてずっと暮らしてこられた方の住民感情のようなものとの折り合いはきっと大変だったと思いますし、これからも大変なことがあるだろうと思います。
でも、そういうことの積み重ね、永山さんも強調されてた持続していくことが何にも変えられないものを創り上げていくんだろうなと思いました。
また理屈をこねてしまいましたが、来年こそは甑島を家族で満喫したいです。
甑島未経験の脳内完結発言ですので、御意見等頂けると嬉しいです。